2019-12-01 愛 苫野 一徳 筆者と同じくしてわたしも、思春期の頃、実に理想的な人間であった。そして、ナルシストであった。いまもかもしれないが。 理想的な世の中を、イメージすると、それは「人類愛」となるだろう。だけど、これは捏造であると、本ではいっている。わたしも同感である。が。今でも、人類愛は思い描きたくなる。麻薬のような、中毒性のあるような、思考である。 合一であることで、愛だと思ってしまうのだろう。愛。それは、「存在意味の合一」と「絶対分離的尊重」の弁証法。「自己犠牲的献身」である。 意思あるところに、愛あり。